沿革
学校の歴史
昭和55年 | 4月 | 開校 校訓「正しく・強く・仲良く」 |
5月 | 低学年具(通門脇)設置 | |
8月 | プール完成 | |
10月 | アスレチック(初代)完成 | |
11月 | 校歌の曲決定(磐田市大場みどりさんの曲に決定) | |
56年 | 2月 | 「わんぱくの森」へのわたり橋完成 |
3月 | 屋内運動場完成 | |
平成元年 | 6月 | 開校10周年記念式典行事 |
2年 | 2月 | わんぱく広場完成 |
2代目アスレチック(わんぱくの城)完成 | ||
5年 | 5月 | プレハブ校舎(生活科室、図工室)増設 |
10年 | 3月 | わんぱく広場に農園を移設 |
11年 | 11月 | 開校20周年記念式典行事 |
15年 | 6月 | 芝生広場完成 |
16年 | 3月 | 中庭に2代目ヤマモモ植樹 |
16年 | 8月 | パソコン40台整備 |
17年 | 2月 | 体育館耐震補強工事 |
3月 | 学級増により教室改装 | |
4月 | 市町村合併により新市誕生。住所変更「磐田市富士見4丁目9番地5」 | |
18年 | 5月 | 平成18・19年度「確かな学力育成支援事業」協力校 |
8月 | 児童通門南側及び校地南側フェンス設置 | |
19年 | 3月 | 放課後児童クラブ東側及びわんぱく広場西側の2箇所門設置 |
校歌
富士見小学校の概要
富士見小学校は、磐田市のほぼ中心にあって、見付地区の東半分にあたります。大部分は磐田原大地にあり、戦後まで雨水を飲料水や農業用水にするなど、水を求める長い歴史がありました。地域に住む人たちの大部分は、上水道の設置後住み始めた人たちです。従って、地域の人たちの歴史は新しく、新興住宅が中心となっています。
学区の人たちは、昔からの人や見付の旧市街地からの転入者など地元の歴史や社会状況を知る人々がおよそ3分の1、他地区からの転入者が3分の2強をしめています。しかし、開校以来PTA会員はもちろんのこと、地域住民からも学校諸活動へ積極的な参加協力があり、 保護者や地域の方々の教育への関心は高く、学校に対して協力的であります。
そのような中で、地域の方々や学校の友達、他学年の人たちとの「かかわり」を大切にした教育を行っています。富士見小学校の学区を、磐田を自分の「ふるさと」と思う子供を一人でも多く育てたいです。
富士見小学校建学の理念
奈良の昔、人々は都を下り、坂東に新天地を求めた。
人々は、未知の世界への不安を感じながら、この地にいたり、新天地の象徴、富士を見つけて、再び希望と闘志を燃え立たせたといわれる。
故に、この歴史をふまえ「理想を求め、未知の世界を開拓しようとする意欲に満ちた姿」を「富士見教育」の求めていく姿としたい。
「富士見」とは、まさしく、希望と再生と不屈の開拓者魂を意味し、どこまでも向上しようとする志操を表すものである。
われわれの目指す教育は「奇をてらう」ものではなく、学校教育の普遍的な真理である「人間としての基礎となり基本となる力」一を教師と子どもと父母・家庭・地域の住民の力で創り上げることである。この創学(学校教育の創造)が、今われわれに課せられた。
この理想を追求して、地域の期待に応えるためには、幾多の困難が待ち構えているに違いない。しかし、未来に生きる子どもたちのことを思うと、挫折することは許されない。
たとえ紆余曲折はあろうとも、持久微力を累積して、これを克服することを期するものである。そして、我を空しくして己を生かし、自ら進んで、われわれ一人一人の教職生涯の拠所となる学校にすることをここに誓うものである。
校章への願い
磐田市のマークと、小学校の「小」と、富士見小の富士の形を基本とした。
校章は校歌の意と同じ、磐田原台地にがっちりと根をおろし、空に向かってすっくと建った富士見小学校。
ここで育ち、やがて大空に全世界に発展する子どもたち。「小」の字の3本は、校訓「正しく、強く、仲よく」であり、さらに、東大久保、富士見町、元天神町の3町を学区として創設されたことをも表した。
校章は校歌の意と同じ、磐田原台地にがっちりと根をおろし、空に向かってすっくと建った富士見小学校。
ここで育ち、やがて大空に全世界に発展する子どもたち。「小」の字の3本は、校訓「正しく、強く、仲よく」であり、さらに、東大久保、富士見町、元天神町の3町を学区として創設されたことをも表した。